ウォーキング 2

普段から歩き回る事はもともと好きですが、ウォーキングを意識し始めたのは、40代からです。当時住んでいたのは都内ですが、畑が多く高い建物もあまり有りませでした。

休みの午前中は、近くの学田公園の周りやあたりを歩きまわり、その時間帯には農家の方が野菜などを公園の横で販売したりと、のんびりした雰囲気を思い出します。当時は運動不足解消が目的でした。

今の住処には、50歳になる数年前に越してきました。
土地勘の全く無い地域に来てからの2年程は、休みの日の午前中に、当てもなくあちこち歩き回っていました。今ではスッカリ馴染みの土地になっていますが、その時は計画は立てず、足の向くままに歩き回り、途中には道端に馬頭観音の碑や土地神の祠が有ったり、民家の間を抜けるとお寺が現れたり、延々と続くナシ園の中を歩いたりしました。こうやって昔から居る土地の神仏に挨拶して回っている、と言った意識が何となく有りました。その土地の物の怪達に引き寄せられて歩き出会う事で、古くから居る土地に宿るにものに受け入れられたのだと思っています。

我が家からかなり離れた、武蔵野線沿線の市川大野の周辺には、日蓮宗のお寺が多いようです。その中で印象深いお寺が、礼林寺でした。境内には小さなお堂があり、子宝成就の神様として古くから信仰されているとの事です。私がビックリしたのは、お堂が有り、その中に大きな男根がいくつも祀られている事でした。予備知識も無く突然現れた事で、今でも記憶に残る場所です。

その後は、やはり休日の午前中に、朝食前から午前中ずっと歩いていた様に思います。この頃は、主に新京成電鉄の沿線に沿って、松戸市の1/3くらいは歩き回ったのではないでしょうか。歩く事で、痩せようとしていた時期です。でも、効果は有りませでした。

改めて思い起こすと、当時はからだが歩く事を要求していた様に思います。

そう言えば、定年で退職した後しばらくは、結構歩き回りました。次の仕事の目処も無く、時間のあるだけ一日中歩いたものです。この時は、武蔵野線で2〜3駅分ぐらいがテリトリーでした。特に意識した訳ではなく地図も見ずに東西南北を無闇に歩いていたら、二駅向こうの駅にたどり着いたり、と言った具合です。この時は、我が家の3才ぐらいの柴犬と何か洋犬の雑種が相棒でした。次の仕事の声がかかる2ヶ月程の期間でしたが、ゴワゴワした毛並みが、サラサラした産毛の様な手触りに変わった事を覚えています。

こんなにからだに変化が表れるなんて、羨ましい。