ウォーキング 24

今朝の外気温は10度前後で、それほど寒い訳ではありませんでした。それでも酷寒用上下でのウォーキングにしました。

始動時の快適さを取って暖かい服装にするか、後半での快適さを取って最初は多少の寒さ(時には、多少程度では済まされませんが)を我慢して、からだが温まった後半に快適になる様な服装にするのか、何れかです。もう2〜3歳若ければ後半での快適さを重視したかも知れません。

始動時の快適さを優先すると言う事は、睡眠から起床まで続いている穏やかな状態をできるだけ変えないで、10度近く温度の違う外気の環境に出て行く事です。これはからだにとってはとても大切な事で、いわばからだの恒常性(homeostasis)を衣服で補う訳です。

一方、ウォーキング後半の快適さを重視するならば、部屋から廊下に出た時点、さらにドアを開けて外気に接した時点で、からだの周りの温度は下がり続けます。部屋の温度が17度位であれば、廊下は15度位、玄関を出れば10度前後。それに伴って体温を奪われない様に血管が収縮して血圧が上がる。からだは緊張して縮こまろうとするでしょう。その事自体はからだの自然な反応で、悪い事ではありませんが、「老人」と呼ばれる域にいる方は血圧が日常的に高かったり、血管がもろくなってる可能性が高いので、からだの自然な反応自体が、自分のからだの負担となる。

私は帰宅後に温水シャワーを浴びますが、寒い戸外から戻ってシャワーを浴びると、指先は急激に血管が膨張して、痛みさえ感じる程です。「老人」と呼ばれる方のからだは、そんな温度の急激な変化にヒョットすると耐えられないかも知れません。

それにしても、今朝もそうでしたがウォーキング後半にTシャツだけで済むと言うのは、とても凄い事です。いったいからだのどこにそれだけの熱源が有るのだろうと、改めてからだの素晴らしさを考えてしまいます。もっとも、小学生の中には真冬でもTシャツに短パンの子がいますので、本来はその程度で十分に過ごせる性質をからだは備えている、と言う事です。

ちなみに、今朝のシャワーでは指先の痛みも感じる事無く、からだの芯に温水の暖かさがしみ渡る事も無く、穏やかでした。からだの冷たさが押しやられて、暖かさが全身に広がって生きている〜と言った実感も無く、チョット物足りなさを感じてしまいます。

でも、その方がからだに極度の負担を強いることが無い分、今の私には良いのでしょう。